人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

風流荘風雅屋

buttonde.exblog.jp

お上品を目指す、のんき節

それぞれの事情

それぞれの事情_c0072801_11544133.gif
      http://ftkst.com/p20573
それぞれの事情_c0072801_8343344.gif
       http://alfalfalfa.com/archives/1293575.html

それぞれの事情_c0072801_11594888.gif
それぞれの事情_c0072801_120261.gif
それぞれの事情_c0072801_1201222.gif
それぞれの事情_c0072801_1202235.gif
それぞれの事情_c0072801_6101660.gif
それぞれの事情_c0072801_6104546.gif

これより面白い猫画像ってあるの?
http://blog.livedoor.jp/chihhylove/archives/3743632.html
意外と知られていないネコにまつわるトリビア
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51564134.html

【3次元】柴犬画像貼ってくわ
http://kanasoku.blog82.fc2.com/blog-entry-15780.html

秋田犬含む

日本兵との交流の思い出

533 名前:本当にあった怖い名無し [sage]
:2010/09/26(日) 21:30:25 ID:GNrympi6O
大学時代に旅行で沖縄行って、旅行終わって帰宅した夜、
部屋に日本兵が出た。
目茶苦茶怖かったが、ただ立ち尽くしてるだけで暫くしたら消えた。

痩せてたし顔色悪かったし、
戦争でお腹へって亡くなったのかな~と思い、
翌日はお茶とおにぎりを用意して待った。
その日も出たが、やっぱり立ってるだけで暫くしたら消えた。

数日お茶とおにぎりを用意して観察したが、同じ事が続いた。
私も「何が気に食わないんだろう」と思いながら
おにぎり増やしたり漬物付けたり味噌汁付けたりしてた。

そんな事が一週間くらい続き、連日夜中まで起きていた私は
そろそろ眠気に勝てなくなった。
そこで、もはや和食フルコース(お茶、おにぎり、味噌汁、
漬物、焼き鮭、煮物、お饅頭)と化した食事を用意し、
その日は早めに就寝。

夜中に気配で目が覚めて、コッソリ見たら、
日本兵ガツガツ食ってた。ちょっと泣いてた。
全て飲み食いした後に立ち上がり、
私に向かってビシッと敬礼して消えた。
以後は来なかった。

朝、日本兵が食べたと思った食べ物は一応形は残ってたけど、
どれも一晩じゃ考えられないくらい水分が抜けて
カラカラになっていた。
お茶と味噌汁は無くなってた。

祖父(徴兵経験は無い)に話したら
「男ってのは生きてても死んでてもそういうもんだ。
変な意地がある。若い娘に飯がっついてる所
見られたくなかったんだろ」
と言っていた。
最初毎晩観察してた私が生殺しにしてたのか……
と思うと少し申し訳ない。

http://ayacnews2nd.com/archives/51698192.html

歴史上の人物のトリビアを語れ
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-3341.html


日本兵との交流の思い出

533 名前:本当にあった怖い名無し [sage]
:2010/09/26(日) 21:30:25 ID:GNrympi6O
大学時代に旅行で沖縄行って、旅行終わって帰宅した夜、
部屋に日本兵が出た。
目茶苦茶怖かったが、ただ立ち尽くしてるだけで暫くしたら消えた。

痩せてたし顔色悪かったし、
戦争でお腹へって亡くなったのかな~と思い、
翌日はお茶とおにぎりを用意して待った。
その日も出たが、やっぱり立ってるだけで暫くしたら消えた。

数日お茶とおにぎりを用意して観察したが、同じ事が続いた。
私も「何が気に食わないんだろう」と思いながら
おにぎり増やしたり漬物付けたり味噌汁付けたりしてた。

そんな事が一週間くらい続き、連日夜中まで起きていた私は
そろそろ眠気に勝てなくなった。
そこで、もはや和食フルコース(お茶、おにぎり、味噌汁、
漬物、焼き鮭、煮物、お饅頭)と化した食事を用意し、
その日は早めに就寝。

夜中に気配で目が覚めて、コッソリ見たら、
日本兵ガツガツ食ってた。ちょっと泣いてた。
全て飲み食いした後に立ち上がり、
私に向かってビシッと敬礼して消えた。
以後は来なかった。

朝、日本兵が食べたと思った食べ物は一応形は残ってたけど、
どれも一晩じゃ考えられないくらい水分が抜けて
カラカラになっていた。
お茶と味噌汁は無くなってた。

祖父(徴兵経験は無い)に話したら
「男ってのは生きてても死んでてもそういうもんだ。
変な意地がある。若い娘に飯がっついてる所
見られたくなかったんだろ」
と言っていた。
最初毎晩観察してた私が生殺しにしてたのか……
と思うと少し申し訳ない。

http://ayacnews2nd.com/archives/51698192.html

あなたが聞いた戦時中の笑える話 第2話

元:生活全般板「あなたが聞いた戦時中の笑える話 第2話」
 http://life5.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1083152164/

51 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/05/07 20:59 ID:qjSizmnK
私の恩師の田舎では、各ご家庭に天皇陛下の写真
(28さんいうところのご真影)があったそうです
普通は飾ってあるのですが
ある家庭では大事に布でくるんで
押し入れに保存していたらしいんです
学校の参観日に先生がその家の子供に
「天皇陛下はどこにおられますか?」と質問
正解は ”東京”なのですが
その子は元気よく「押し入れに居られます!」
と答えてしまったそうです。
笑い話で済んだそうです(ひとつ間違えば不敬罪でした)

65 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/05/08 21:48 ID:VuGubXfS
うちのじいちゃんは戦時中フィリピンにいたんだが、
フィリピンはバナナの宝庫で、というか美味いのはバナナ
くらいしかなくて
どうにかしてこのバナナの他の食い方はないものかと
仲間たちと思案したあげくにあろうことか味噌汁の中に
入れて煮て食ったそうな。
じいちゃん曰く、「あの味噌汁のまずさで敵を
殺せたかもしれん」と。
バナナを味噌汁に入れてはいけない、
というのがじいちゃんの戦争体験談による教訓だった。

あと、現地で手のひらサイズの子猿を捕まえたので、
いつもふところに入れて連れて歩いてらしいが、
この子猿がいつまでたっても「シッコしたい」を覚えず
毎回じいちゃんのふところに漏らしてたそうだ。
「この猿は頭が悪い。何度教えようも漏らしよる」
と仲間に愚痴ったら「フィリピンの猿に日本語が通じるか」
と言われて納得したらしい。

まあ無事に帰ってきてくれたから、
今の自分がいるわけだけどね。

12 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/04/30 01:58 ID:g7ULnkOF
うちの祖母が畑を耕していると鬼畜米の
戦闘機B29がやってくるではないか!
祖母はとっさに鍬を投げ捨て、畑に身を伏せた。
しかし、鬼畜米機はどんどん畑の祖母めがけて高度を下げ、
祖母に向かって突進。
機体は祖母の背中をかすったかと思うとそのまま上昇し、
そのまま消えた。

15 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/04/30 02:12 ID:Y4ZuV28Q
>>12
グラマンか何かの間違いじゃないのか?
B-29は戦闘機じゃないぞ。

16 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/04/30 05:07 ID:fDGsBk3q
>>15
知らん。
うちのばあさんに聞いてくれ。

26 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/05/05 20:23 ID:46CpvbVy
うちのじいちゃんの話。

小学校に御真影があって、祭られていた。
直に見ると目が潰れると言われていて、その前を通る時は皆、
下を向いて目をつぶっていたらしい。

空襲があったら6年生の委員長が御真影を持って逃げることに
なっていたんだが、どうやって御真影を見ずに持って
避難するか真面目に考えてたらしい。

46 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/05/07 17:32 ID:TKViHvBq
~祖父の徴兵検査~
結構な身体能力のある祖父は、
地元では出世頭だろうと期待されていた。
案の定、大抵の検査を優秀な成績でパス。
しかし聴力検査の際、初めて行う検査のやり方がよくわからず、
例のヘッドフォンもどきの逆側を、
無理やり耳に突っ込んで臨んでしまった。
検査員もそれに気づかぬまま検査開始。
試験後の試験管「折角の優秀な成績なのに、
耳が聞こえないのか…残念だが…」
そういうわけで、祖父は偵察隊に。
比較的危険の少ないところが多かったようで、
無事生きて帰ってこれました♪

48 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/05/07 17:55 ID:2PHJ2tky
終戦の2か月前に召集されたうちの祖父。
年齢は30代だったのに、頭は立派にツルっ禿げだった。
「あんなじいさんが召集されるようじゃ、
日本は負けるんじゃないか」と見送りの中から声がした時、
祖母は恥ずかしくて仕方がなかったとのこと。

54 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/05/08 08:30 ID:XFWntw2T
知り合いの話
滅茶苦茶ドン臭い叔父さんが徴兵されたのだが、
あまりにもドン臭い故に、前線や重要な場所に派遣されず、
戦争とはまったく無縁に思われるような島に飛ばされたらしい。
(通信回路さえ守れればよいような島で、
会社でいう備品倉庫みたいなもの)
ある日、偶然原住民と遭遇して、
「戦争あってるのか?」(原住民ジェスチャー)
「そうだよ。戦争中」(叔父さんジェスチャー)
「そうか、沢山知らない人来て、なんかしてったけど、それか」
(ジェスチャー)等、ぎこちないジェスチャーで
なぜか意気投合。
数年間戦闘とは無縁で、たまに釣りや狩りをやって過ごし、
最後のお別れは、
「カエルノネ~」(日本語覚えた原住民)
「うん。かえる」
「サヨナラネ~」
なんかわけのわからんお土産までもらって送り出されたらしい。
中国とか朝鮮とかの兵士とはえらい違いだと思った。

102 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/05/18 00:52 ID:xe31hbpf
笑えるかわかりませんが・・
戦時中、八王子の軍需(?)工場で働いていた祖父の話。
お使いで行った先で、工場長に届けてくれとオニギリを
一杯預かったそうです。しかし帰り道の川原で、
血迷ってそれを平らげてしまった。
工場に帰れずモジモジと夕暮れまですごし、
観念し意を決して帰ると、なんと工場の 付近一帯壊滅状態。
誰にも謝らずに済んだとのこと。
離れてたとはいえ、爆撃に気づかなかったドン臭い祖父は、
今でもドン臭いです。

逆に、優秀なので地元でも評判だった祖父の兄は、
意気込んで前線を希望し出征。
戦地に向かう途中の船内で、安全装置を外して
銃を掃除していた人に、こめかみを打ち抜かれました。

なんでだか、その弾が今でも家に家宝のように
保管されています。

103 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/05/18 01:16 ID:+wh6CmBg
祖父の兄?だったか?の話なんですが
和歌山で米戦闘機がやって来ました。
回りの人々を防空壕に誘導したのですが
男気の強い人で、皆が「危ないから早く入れ!」と言うなかで
米機に睨みを利かせ、怒鳴ってたらしいです。
しかし米機の機銃掃射で生命の危機を感じ防空壕内へダイブ!
防空壕内で骨折者が3名出て大顰蹙だったらしいです。

117 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/05/20 09:52 ID:2ByA5Ovt
笑える話ではないが・・・
じいちゃんが東京へ行くときに電車で座席が近くかった
おばさんと話をしてたらしい
おばさんは東京にいる息子に食べ物を届けてあげるため
その電車に乗ってたらしく
息子さんに会えることをとても楽しみにしていたそうだ
ところがそんな話をしている時に闇米とかそういうのの
検査ですよ

見つかると下ろされるんだっけ?そんなわけでおろおろする
おばさんにうちのじいちゃんが「ちょっと貸しなさい」と
言って座席の下に米を敷いてそのうえにどっかりと座り
調べに来る人とは「学生さんですか~?」「ええ」
「大変ですね~」といった会話で無事やり過ごしたらしい
やり過ごした後おばさんは、いたくじいちゃんに感謝した
らしく、その場でおにぎりをくれたらしい
あれは旨かったなぁ~と目を線にしながら
語るじいちゃんがなんだか印象的ですた

125 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/05/21 23:16 ID:ZL5QIigq
友達の爺ちゃんは、
弾がビュンビュン飛んでいる戦場で
あまりの怖さに眠ってしまったそうだ。
起きたら誰もいなくなっていたって。
中国でのお話です。

137 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/05/24 00:36 ID:Nn1roYMX
祖母の妹婿が中国に行ってた。
黄河か揚子江の側の宿営地だかなんだかでいたらしい。
そのとき、川にイルカがいるのを見かけ、大勢の仲間と
捕まえて市場に売りに行ったが、買い取ってもらえなくて
仲間で食べることに。そのおじさん曰く。
「イルカは脂ば~っかりで、美味なかったな」
刺身で食べたらしい。
「良く中たらなかったですねぇ」って聞いたら、笑いながら、
「いや、イルカは生はあかんな。きつい」とか。
食べたほぼ全員が、2~3日トイレの住人になったそうで。

147 名前:おさかなくわえた名無しさん[さだめ]
投稿日:04/05/27 12:45 ID:5cN+qw73
高校時代の友人のじいさんの話。満州かどこか中国に出征した
とき、ある寒い日に、戦車のタイヤ?についていたつららが
どうしてもなめたくなって、なめたら舌がはなれなくなり、
無理やりはがしたらそれが元で病気になり、日本に帰ってきた
ということ。そのまま終戦を迎えて死ななくてすんだらしい。
その友達もおもしろかったが、
それはじいさん譲りかもしれないと思った。

188 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/06/17 16:58 ID:TpyCwOz0
うちのじーさんの兄は結核(肺炎だったかも)だったため
徴兵されずに済んで、終戦後あっさり治ってまだ元気に
生きているという運の強い人です。

あと終戦直後だけど、徴兵された父方のじーさんの話。
赴任先(国内)で「終戦のため現地解散」(要約)
ということになった。じーさん達したっぱは「やれやれ、
やっと帰れる。」と帰るために手際よく船やら米やら調達
していたけど職業軍人の上官達は上も下も無くなったために
何も出来ずにおろおろしていたそうです。じーさん達は
「しょーがねーな」という感じで一緒に船にのせてやって
米持たせて帰したそうです。
やっぱり職業軍人だとこういうときはは
何もできなくなっちゃうのか。

200 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/06/23 16:05 ID:S0bIzvlo
じいちゃん、戦争前から陸軍士官で、
順調に出世してたのに、開戦直前に除隊。上海に移り住み、
3つほど会社を興すも失敗して終戦後内地へ。

というのが私がこないだまで信じていたじいちゃんの
プロフィールでしたが、実際はダミー会社を運営しながら
諜報活動していたらしい。
遺品を整理してたらそんな日記が出てきてビクーリ。
それにしてもじいちゃん、インク会社・製紙会社・
出版社ってチョイスが、妙に自分(同人オタク)の
ルーツを感じて苦笑いしてしまったよ…。

203 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/06/23 21:34 ID:x6XCuLG9
うちのじいちゃんは戦争に行ったときまだ結婚3年目ぐらいで
娘が生まれたばかりだった。
戦地からの手紙は悪口や地名を書かないようにチェックされて
いましたがじいちゃんは縦読みならぬ「横読み」
(縦の文章の頭を左から読むと文章になる)
を駆使してばあちゃんに想いを綴っていました。
今でもその手紙は残っているのです
しかし、ロマンチストとはほど遠く、横読みの内容は
「暇なとき白い飯が食いたくなる」とか
「メンソレータム送ってくれ」とかでした

229 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/07/03 11:04 ID:zBOnauES
うちのじい様はイルクーツクで捕虜になってたらしい。
小さい頃良く戦争の話しを聞かされた。

戦闘中に、相手の弾が味方のヘルメットを斜め
(円周上に沿った形で)に貫通し、そのままヘルメットの中を
ぐるぐる回り、髪が焼けてハゲになったそうだ。
命は無事だったらしい。
小さいながらにホントかいなと思ったが、
今でもその話は覚えてるな。

ロシア兵は捕虜の日本兵の中にパンを投げ込み、
奪い合う姿を見て笑ってたとか。。

317 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/07/16 14:00 ID:RWHXvMMz
友達の爺さんの話なんだが、

当時大砲等を輸送している部隊にいたらしい。
で、後ろの方の奴が間違えて大砲をぶっ放してしまい、
その爺さんの頭を弾が掠めていった。
そしてたまたま近くを飛んでいた敵機に当たり、
撃墜してしまった。

なんともまぁ、怪しい話だが。

358 名前:おさかなくわえた名無しさん[age]
投稿日:04/07/22 11:55 ID:7nMNRS2V
たしかどっかの地方ラジオ局だと記憶するが

日米開戦記念に、威勢のいい音楽をラジオで流せと言われて
あろうことか「星 条 旗 よ 永 遠 な れ」を
流して始末書書いたアホがいた

362 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/07/22 23:32 ID:YaVgS02l
>>358
今のNHK鹿児島局がやらかしたホームラン級の大ポカですな。
有名な話。

うちの爺様は性格は大人しかったが酒豪。
南方で付いた部隊長は酒好きだったが、
あいにく直属の士官連に酒飲みがいなかった。
飲める上等兵の祖父に白羽が立ち、隊長の従兵に抜擢。
温情家の隊長の下で仕事は軽く、夜になると好きな酒のお相手。
肴付きで飲み放題。サンゴ礁の島には米軍も来なくて
「楽しかったぞ」、ってそんなんでええんか。

島には大した食い物もなかったが、マンゴーは死ぬほど
成っていた。調子に乗ってマンゴーぱくぱく食っていたせいで
下痢が止まらなくなり、野戦病院送り。
検査した軍医に「おまい肺やられとるぞ」と唐突に言われる。
「病院船の氷川丸がこっちの泊地に回ってくる。
それに乗って内地へ帰れ。
病状はうんと悪いことにしておいてやる」と、話のわかる(?)
軍医もいたもので。
祖父の帰国直後に米軍の攻撃が激しくなり、
平和だった島でも多くの戦死者が出たそうな。

内地の陸軍病院で療養してから招集を解かれたのもつかの間、
昭和20年8月に再招集を受けた。
覚悟を決めて兵営の前へ行ったが、
同時に招集を受けたはずの連中が一人も見えない。
日暮れまで突っ立っていたら「お昼で戦争が終わりましたよ」
と通行人に教えられた。

すごすご帰宅して数日後、「用事があるから」
と親戚に連れられて隣村の家に行ったら
行き遅れた三十女が白無垢着て待っていて、
いつの間にか婿にやられていたという。
戦中といい戦後といい呑気もいいところだが、
この祖父は未だに元気でいる。

374 名前:おさかなくわえた名無しさん[age]
投稿日:04/07/25 00:53 ID:tN/81VaF
うちの先祖話

明治37年日露戦争勃発当時、うちに赤紙が届いた
ところが届いたあて先は、なんと「佐藤千代」 つまり曾祖母
「女まで召集するたァ、こりゃ余程苦戦なんだろうか」
と近所中の評判になった
どういうことかと役場に出向いて調べてみると、
戸籍取り扱いの混乱で兄と妹が入れ替わっていたと
本来は兄の「佐藤秀」に届くはずだった物 字を見ても、
男か女か判断がつきにくかったらしい
ましてや寒村の小役場 親父が間違えたんだか役人が
間違えたんだか・・・

その後改めて「佐藤秀」に赤紙が届き出征し
奉天大会戦でロシア兵にサーベルで斬られて
重傷を負うも何とか生還
勲章も貰ったとか

380 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/07/25 11:40 ID:Q+LYmWYU
超ド級の田舎の農家だったじいちゃんは、
そのころではめずらしい
シェパードを飼っていた(雑種かもしれないけど、
じいちゃんはシェパードだったと言ってた)

クマという名前だったのだけど、ものすごく賢くて、食事も
じいちゃんがよし!というまでは絶対に口を付けず、ある朝
ばあちゃんがえさをやり、じいちゃんも「よし!」と言うのを
忘れて農作業に行ってしまい、日が暮れて田んぼから帰って
くると、クマは一口も食べてないえさ箱の前でじっと待ってた
そうだ。

賢さは田舎でも評判で、じいちゃんちから10里くらい離れた
ところにあった軍の施設から、軍用犬として徴集するといって
持っていかれた。(30キロくらいかなぁ、10里って)

クマは、わりときちんと「軍人」っぽく扱われてたらしく、
日曜日にはお休みをもらってたそうで、毎週日曜の午前中に
歩いて家に戻り、夕方になると、自分で軍の施設に歩いて
帰ってたらしい。

ただ、終戦になっても戻ってこなかったのが
残念だったとのこと。
どこかで作戦に参加して亡くなったんだろうね。

430 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/07/29 22:09 ID:pzGjHQei
家の爺さんの話。
小学生の時、学校で「床屋貯金」なるものがあって、
先生達が髪の毛を切って、浮いた床屋代で
慰問袋を作ったり、現金を送金していたそうだ。

しかしバリカンの使い方が下手な先生が多く、
相当痛い思いをしたという。
「あれで俺は髪が薄くなって、ハゲになってしまった…」
と嘆いている爺さん(68歳)だが、うちは代々ハゲ家系なので
それは全然関係ないと思う。



455 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/07/30 20:04 ID:O+HXz98d
では、小学校の頃校長に聞いた話

昭和20年のある日、関東地方全域が艦載機の襲撃を受けた
日本の航空隊も全力で迎え撃ち、関東上空のあちこちで
壮絶な大空中戦が行われた
が、うちの町は軍事施設が無かったため大規模な襲撃は受けず、
遠くで響く爆発音や機銃音
飛行機が急旋回する金切り音を聞いたり、
上空を通過していく敵味方の編隊を眺めるだけだった

いい加減敵機が引揚げ始めたその日の夕方、当時生徒だった
校長は、校庭全面を改造した芋畑で作業していた
すると紛れもない味方戦闘機の爆音が 見れば一機が
よろめくようにこっちにやって来る
生徒も先生も大喜びで、全員芋畑の真ん中に集まって手を
振りだし 飛行機も上空をぐるぐる旋回しだした

が、飛行機はふらふらと上空から離れていくと、
いきなり超低空で学校の隣の農家の畑めがけて突っ込んできた
飛行機はそのままバリバリバリと轟音と共に不時着した
行ってみると操縦席で搭乗員が血まみれになって気絶している
機体全面には無数の弾痕が
先生たちが大慌てて搭乗員を校舎に運び、
近隣住民と手厚く看護
そのおかげで搭乗員は息を吹き返した
その搭乗員曰く
「空中戦で被弾して、どうせなら畑や田んぼより広いところ
に不時着したいと思って、見えた国民学校に来たが、校庭で
みんなが集まって手を振ってるもんだから危なくて不時着
できない 上空で待っていてもどく気配が無い
 そうこうするうちに頭がフラフラしてきて、燃料ももう無い
仕方なく隣の畑に不時着した
やっぱり畑は狭く、
止まりきれず垣根に突っ込んで頭を打った」と

せっかくの好意が仇になった例

456 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/07/30 21:05 ID:tMl32qBX
うちのじぃさんの話。

妻と息子を田舎に残し出征。
すぐに終戦を迎えたが、田舎は焼け野原と知る。
「妻と息子は死んじゃったんだろう」と新たに妻を娶る。

3年程して新妻を連れて田舎に帰る。
「おっ!我が家が焼けずに残ってる。」

家に入ると旧妻とちょっと大きくなった息子、
ちっちゃい子供を抱いた知らない男が団欒中。

どうやら旧妻も「どうせ旦那は死んでるだろう」と
結婚したらしい。とりあえずその場にいた皆で自己紹介し、
おのおの新家族で暮らしていくことに決定。

間もなく新妻に子供ができた。これがオレの父ちゃん。
旧妻側は付き合いないからわかんないや。

475 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/07/31 22:21 ID:KpUIbB//
爺さんの友人?の話だが、
海軍=スマートと言うイメージがあったので
海軍に入れば殴られることは少ないだろう。
と思って海軍に入ったが、
朝から晩まで殴られっぱなしだったそうだ。

陸軍の方が殴る回数は少ない。と言うのを終戦後知ったそうだ。

478 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/08/01 05:08 ID:HDY5ruSS
戦争末期、近隣の軍需工場や繁華街を爆撃した米軍機が
帰還するときに水田に余った焼夷弾を捨てて行くので、
家の近くの田んぼには焼夷弾がいっぱい突き刺さってる
状態だったそうです。
ある日、当時小学生だった父は近所の子供達と田んぼで不発の
焼夷弾から発火用の火薬を抜き出して、浅い缶(一斗缶を
切った物?)に集めていた。
それまでも少量に火をつけては遊んでいたがその日は量が
いつもより沢山集まった。
年上のガキ大将の子が「きっと花火みたいになるだろう」と
言うので、みんな「わーいわーい、花火だー」と大喜びで
火薬持ってガキ大将の家の庭へ。
しかし焼夷弾から取った導火線はすごく短くて、缶の縁まで
しか届かない。これでいきなり火をつけるとヤバそうだなと
子供の頭でも思った。
父は家からマッチを持ち出してiiiiiiiiiiiiiiiiiこんな風にマッチの
頭を上にして地面に刺して並べ、導火線の延長にして着火。
火はマッチを次々と燃やして最後に短い導火線を伝って缶の
火薬へ。
離れて見守ってたのに目の前が(閃光で)真っ白になり、
物凄い煙に包まれた。
警戒の消防の櫓からも光と煙が見え、爆弾が落ちたのかと
町内中騒然となり、加わった子供は父含め全員こっぴどく
叱られましたとさ。

480 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/08/01 08:45 ID:iI7EpJ9i
技術者だった俺の祖父ちゃん。ある日、海軍が拿捕した
米軍の飛行機が工場に運ばれてきた。
同僚と解体して、中を調べると、
楽しくって仕事が止まらなくなってしまった。
丸二日その米軍機に集中していると、
気づいた時にはどうやら空襲に遭っていたらしく、
自分たちの工場の棟以外、殆ど更地になっていたらしい。

また、ある日、空襲警報が鳴り響き、防空壕へ入ると、
やることもないので同僚が麻雀でもしようと
祖父ちゃんを誘った。
ろうそく一本の明かりでゲームを開始する。しばらくすると
上官が防空壕へ怒鳴り込んできて、祖父ちゃんはじめ、
同僚はぼこぼこに殴られた。
どうやら警報解除に気づかず、
徹マンしてしまったからだそうです。

487 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/08/03 15:28 ID:QqmPeYsq
じいさんから聞いた話

じいさんは、満州の自動車部隊?に徴兵されたそうな。
そこで二等兵として勤務したしたらしいが、訛りの強い一等兵に
1「○○連隊の宿舎に行きたいのだが・・」
2「?????」じいさん、理解不能な顔をしたらしい
3「くそう、田舎者だと馬鹿にしやがって」
って殴られたらしい。
一等兵は、東北出身でズーズ弁で喋られたものだから、
じいさんは理解出来なかったらしい。

後日談でじいさんは名古屋に、
技術者としてすぐに戻らされたそうな。
じいさんが言うには、上等兵たちには悪いことをしたそうな。

ばあさんも学徒動員で、名古屋の三菱兵器工廠で
飛行機作ってたそうな。空襲警報が出てみんな避難する中、
用をもようしたばあさんはトイレに行ったそうな。
爆撃が始まって自分が死ぬかもしれんと覚悟決めてたら、
爆撃がやんだそうな。トイレから出てみると、
トイレ以外は焼け野原だったそうな。

522 名前:おさかなくわえた名無しさん[]
投稿日:04/08/09 07:08 ID:JuxjYh+U
友達のじいちゃんから聞いた話。

戦時中、学生だったじいちゃんたちに、学徒動員の召集が
来るのも秒読み段階。学業どころじゃなく、いつばらばらに
なるか分からない。
夏休みに入ったその日、とにかく学生寮のみんなで集まって
青春の夏の一夜を楽しもう!となった。これが最後の宴かも
しれないし。

当然、酒などはないが、誰かが田舎から大量の冷麦を調達して
きたところ。しかし、ゆであがった冷麦を入れるガラスの
大きな器がない。すると、他の誰かがアルマイトの洗面器を
持ってきた。それは、風呂にも下着の洗濯などにも使ってる
万能洗面器。

「汚くないか?」と、当然の疑問も出たが、冷麦は今にも
茹で上がらんとしてる。「こういうときは打撃消毒だ!叩け!」
と、一番人望の厚かった優等生が言ったので、みんなでその
洗面器をガンガン叩いて水を張り、水で冷やした冷麦を投入、
わっと食べ始めた。

その後全員が食あたりになったとのこと。とんだ別れの宴に
なっちゃったね。

526 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/08/09 11:19 ID:99d5eF6P
戦時中の話じゃないけど
じいちゃんは薬剤軍曹だったんだが、
特に笑えるエピソードは無いんで割愛

で、問題なのが戦時中中国戦線で従軍看護婦やってた
ばあちゃん
従軍看護婦ってのは、前線の殺伐とした雰囲気でスレる上
兵隊たちにちやほやされるもんで、大抵古兵や下士官、
将校も恐れる鬼看護婦になる場合が多い(じいちゃん談)

親父が小学生の頃の話だが、ただでさえばあちゃんに
頭が上がらないじいちゃんなのに
あろうことかコソーリやってた浮気がバレた

・・・ばあちゃんがブチ切れて、床の間に架けてあった
じいちゃんの軍刀を抜き払い
「この前線も知らん軟弱軍曹風情がぁ!
性根を叩き直してくれる!」とじいちゃんを追い掛け回した
じいちゃんは堪らず家を逃げ出し、親父がばあちゃんを
必死でなだめた後探しに行った所
河原の橋の下でひざを抱え、子犬のように震えていたと

ばあちゃん怖い

570 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/08/12 10:04 ID:PKu/rIRh
南方で激しい銃撃戦の最中、俺のじいちゃんはびびって
ウンコを漏らしたと言っていた。
で、銃撃戦のさなか、他の兵隊達に大笑いされたそうだ。
銃撃戦が収まってから、その話が色々な所に漏洩して
「肥やし丸」とか言われたそうだ。
「いやぁ、戦闘が収まってから他の連中に笑われて、
悲しかったなぁ。学校でウンコ漏らしてみんなに笑われるって、
気分と同じだなぁ・・・。」と、そのときの心境を静かに
語ってくれた。じいちゃん、俺は小学生の時ウンコ漏らして
みんなに笑われたけど、これは遺伝とかですか?

578 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/08/13 02:24 ID:UF0yEG/j
うちのじいちゃんは背も小さく、華奢だった。
いい年ぶっこいてもまるで少年のような童顔でもあった。
小さいあまりに徴兵検査ではねられ、
戦争にはいかずじまいになってしまった。
終戦後、隣町に駐屯してた米軍の手伝いをしてたんだけど、
仕事が終って家に帰ろうとすると、
いつも決まった米兵に呼び止められた。
仕事でもらうお給金とは別に、大量のお菓子や缶詰、
色んな食料をくれたそうだ。
米兵が本土に上陸したら、女は皆犯されて男は皆去勢される、
と信じていたじいちゃんは米兵の親切さにとても驚いたそうだ。
で、ある日その米兵がいつものようにじいちゃんを呼び止めて、
車の運転はできるか?と聞いてきた。
できない、と答えると、
「そうか、せっかく戦車あげようと思ったのに……。」と
ひどく落胆したそうだ。
戦車ってくれていいもんなのか?
じいちゃんは80歳になるまで懐かしく振り返って、
あの米兵はとってもいい人だった、と言っていた。

614 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/08/16 19:59 ID:QRoKEAeC
取りあえず、フィリッピンの穴蔵の中で寝ていた。
気づいたら誰もいなくなっていた。
仕方なくその周辺で、一週間くらい煮炊きして生活していた。
そしたら、米兵がやってきて、「コウフクシテクダサイ、
ギュウニクモヤサイモアルヨ」と、言われあっさり降伏したと
言っていた。で、トラックに乗ってる途中、うまく釣られた
自分を悔やんだらしいが、収容所?に 着いたら、本当に
どでかい靴みたいなギュウニクと、サラダを食べさせて
もらったらしい。
それから、ビール、本、取りあえず何でもくれたそうだ。
「これからは、欧米生活だな」と 思ったそうだ。
「取りあえず、食い物見たら天皇だの愛国だのは
どうでも良くなったww」
と、大笑いしてた。

643 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/08/23 00:38 ID:QR1CHyNv
米軍からかっぱらった物資の中にうどん粉らしき物があって
それで団子を作ってみたらやたら泡が出る
でも気にせず食い終わってから英語の読める士官のところに
持っていったところ
うどん粉ではなく、「粉石鹸」だった

654 名前:名無しさん@自治スレ参加募集中[]
投稿日:04/08/27 03:03 ID:5rOGkpJc
俺のじい様は南洋庁に勤めていた、
いわばエリートみたいなもんだったらしく
オーストラリアの真上あたりの島に第一陣でついていったらしい
しかし、すぐに攻撃にあい退散しようと本艦へ行くボートに
乗りこんだら、じい様一人しかたまたま乗らず漂流
バカみたいな話だが大パニック状態でじい様は忘れられ、
運よくオーストラリアまで流れついた
英語が話せた為に、華僑のフリをしそのままぐだぐだしながら
滞在→オーストラリア人と結婚→父誕生
戦後、純日本人の母と結婚しクウォーターの俺が産まれた笑

709 名前:名無しさん@自治スレ参加募集中[]
投稿日:04/08/29 17:12 ID:sVeOLfbw
この前祖母の葬式で、母方の叔母の旦那の姉の旦那から聞いた、
母方の叔母の旦那の姉の旦那の父の話。
(ややこしいので以下「爺さん」と表記します)

爺さんは三鷹って軍艦に乗ってて、
それが夜中に潜水艦に沈められた。
相手が潜水艦だから撃たれるまで皆気付かなくて、
不寝番をしてた爺さんとその他数人は慌ててボート降ろして
脱出したそうな。
急いで沈みかけてる船から離れたが
(後で戻って生存者を拾うつもりだったそうだが)、
火薬庫に火が回ったらしく、爆発してしまった。
結局生存者は爺さんを含めた数人のみ。

手ぶらで脱出したもんだから何のしようもなくて、
夜が明けるまでそのまま浮かんでたらしい。途方に暮れてると、
遠くに船影が見える。
皆で精一杯手を振ってると、気付いたらしくこっちに
寄ってくる。
助かった、と思ったものの、近くで見ると星条旗を掲げてる。
ボートの傍まで来ると、その船(多分輸送船らしい)から
船員が「降伏するなら助けてやるぞ」と言う。
爺さんたちは軍人の意地で降伏なんぞもってのほか、
いうことで、英語の話せる人が「我々は大日本帝
(ry!降伏よりは死を選ぶ!」と大見得を切った。
すると船員は引っ込んだが、しばらくすると再び現れて、
真水と食料と海図をコンパスを投げてくれた。
で、一言「Good Luck!」。
(後に爺さん曰く「あれが軍艦だったら
その場で殺されてただろうな」とのこと)

710 名前:名無しさん@自治スレ参加募集中[]
投稿日:04/08/29 17:12 ID:sVeOLfbw
続き
九死に一生の爺さん一行、
海図を頼りに最も近い基地を目指すことにした。
その航海も相当苦労して(途中で一人亡くなったらしい)、
全滅を覚悟した頃に基地に辿り着いた。が、
米兵がわらわら寄ってきて、「Hold Up!」
場所を間違えたか!?と臍を噛んだが、
体力気力が限界に達してた爺さんたちは軍人の意地とか
どうでも良くなったらしく、
おとなしく捕虜収容所に連れてかれた。

収容所で先輩捕虜から聞いた話によると、
航海中にその基地は米軍に占領されたとのこと。
別に地図を読み違えたわけで、
爺さんはこれも天命と思ったらしい。
そのまま終戦まで収容所ライフを満喫したそうな。
ただ、飯は日本軍より格段に上等だったため、
帰宅する頃には爺さん相当太ってしまった。
帰宅すると、別人のように太ったのと戦死通知が来ていたため、
家の敷居を跨ぐのに一週間かかったらしい。

757 名前:名無しさん@自治スレ参加募集中[sage]
投稿日:04/08/29 23:59 ID:iJlPeLPJ
たいした話じゃないけど、
戦争末期まだ幼女だったかあちゃんの話。

空襲も激しくなっって来た頃、
隣組に一個「とび口」が支給されたんだそうな。
今で言う、フックとかクリップみたいな物らしい。
それを竿の先につけ、濡らしたムシロをひっかけて
焼夷弾の消火をしろ、ということだったそうな。(無茶な話だ)

4歳児のかあちゃんがそれで遊んでいて、
井戸の中に落としてしまった。
そんな物でも天皇陛下から下された物だから、
ちゃんとしとかないと隣組まとめて、憲兵に怒られる。
じいさんが、青くなって近所に頭を下げ、
井戸さらいをすることになった。
重労働だから近所からは文句がいっぱい出たそうだが、
途中で皆の文句はねぎらいの言葉に変った。
なぜか、でっかいウナギが4匹出てきたそうな。
当時の食糧事情からしたら、相当なごちそうだったらしい。
最初は怖い顔して怒ってたおじちゃんがニコニコして
頭なでてくれたと、かあちゃんが言ってた。
で、その後、あたり一帯の井戸が用もないのに
井戸さらいされたらしい。

554 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage]
投稿日:04/08/11 03:13 ID:0DQorRV1
爺ちゃんに聞いた話。
山の方に住んでいたじいちゃんのお父さん(俺の曾爺ちゃん)、
ある日米軍の飛行機?が落ちたのを目撃。
山火事にでもなったら大変だ。ちょっと見てくる。
そう言って、曾爺ちゃんは鉈を片手に出かけた。
落ちたあたりに行ってみると、米兵さんが大怪我をして
うめいていた。
爺ちゃんはその米兵さんを家に連れて帰って
出来る限りの手当をしてみたが、薬も何も無い。
看病したものの何日か苦しんだあと、
とうとう亡くなってしまった。
近所の人に「首に縄付けて死ぬまで引きずってやれ」
みたいな事言われたりもしたし、
亡くなった後も犬に喰わせてやれとかそんな感じで
かなり批判されたようだけど、
「死んじまったらみんな仏さんだ。」と火葬して、
簡単にだけど葬った。

戦争が終わって、占領軍(と、爺ちゃんは言った)がやって
くるようになると、米軍の偉い人が来る、どうもあんたを
捜していると言う話を聞かされた。
何があるかわからないと言うんで曾爺ちゃんは爺ちゃんや
曾婆ちゃんを山に隠して自分だけで働いていた。
ほどなくして偉い人が曾爺ちゃんの家にやってきた。
プロレスラーのようなでっかい体した人だったらしい。
彼は「戦闘機が落ちただろう。それは何処だ。」と聞いてきた。
曾爺ちゃんが飛行機の場所を地図で示して、
「乗ってた人は亡くなった。墓が山にある。」と告げると、
そのでっかい怖い人はすぐ連れて行ってくれと言い、
「弟だ」とお墓を前にしてボロボロ泣いていたと。
捕まってなぶり殺しにされて捨てられてるくらいに思ってた
らしく、手当を受けてお墓まで建てて貰っていたと言う事に
凄く感謝され、その後曾爺ちゃんの住んでいた一帯は物凄く
優遇されてたらしい。
なんでも山ほどくれるので食べるものに全然困らず、
当時本当に助かったそうだ。
「甘いのが欲しいつったら、チョコレートが木の箱に
いっぱい来たよ。」と、爺ちゃんは言う。

んでその曾爺ちゃんだが、米兵さんが残した時計を
大事に持っていた。
「つい、もらっちまってもいいかと思ってよぅ。
…返しそびれてさぁ。悪いことしちまったなぁ…。」
そんな事を、亡くなるまで言ってたらしい。
今もうちの仏壇の中にある。

http://nikuch.blog42.fc2.com/blog-entry-523.html

落語 春風亭柳昇 与太郎戦記

by buttonde | 2010-11-02 11:58 | | Trackback | Comments(0)

by buttonde