久々浮世絵 10
2014年06月23日
浮世絵・日本画に描かれた骸骨(ドクロ)
骸骨は世界中で昔から様々な作品のモチーフとして
用いられてきた。日本では野辺にさらされた人の頭蓋骨の
ことをしゃれこうべ(されこうべ)と言うが、
これは、「晒され頭(こうべ)」が語源となっており、
死の象徴とされている。
江戸時代から明治時代に描かれた浮世絵や日本画にも
ドクロが登場する作品が数多く存在する。
著名な浮世絵師が手掛けた骸骨は趣深いものがある。
歌川国芳 「相馬の古内裏」 1845年頃
拡大
相馬の古内裏は、『善知烏安方忠義伝』という物語の中の、
滝夜叉姫が呼び出した骸骨の妖怪が大宅太郎光国に襲い
掛かる場面で、原作では等身大のたくさんの骸骨が現われる
ところを、歌川国芳は1体の巨大な骸骨として描いた。
ヨーロッパの医学書の骨格図に基づいた非常に写実的な
骸骨はそれまでの浮世絵には無い凄みを画面に与え
本作品を国芳の傑作の一つたらしめている。
歌川国芳 「於岩ぼうこん」 1848年
お岩の怨霊として骸骨が取りついている
歌川国芳 「国芳もやう正札附現金男野晒悟助」
歌川国芳の寄せ絵。猫を寄せドクロに見立てて着物の
柄に仕上げている。ゲタもドクロに見える。
歌川国芳 「源頼光公館土蜘作妖怪図」(1843年)
拡大1・2
表向きは平安時代の武将源頼光による土蜘蛛退治を描いた
ものだが、本当は土蜘蛛を退治するどころか妖術に苦しめ
られているのは頼光と見せかけて実は、将軍徳川家慶であり、
国家危急の時に惰眠をむさぼっているとの批判が
込められている。
葛飾北斎 『百物語』より「こはだ小平次」
小幡 小平次(こはだ こへいじ)は、江戸時代の伝奇小説
や歌舞伎の怪談物に登場する歌舞伎役者だがモデルとなった
役者が実在したことが知られている。幽霊役専門の役者で、
役者として名をあげた後、殺害され自分を殺した者のもとへ
幽霊となって舞い戻ったという。
月岡芳年『新形三十六怪撰』より「地獄太夫悟道の図」
『新形三十六怪撰』は、幕末から明治前期にかけて
活動した浮世絵師・月岡芳年による
妖怪画の連作のうちのひとつ。
月岡芳年『新形三十六怪撰』より
「清盛福原に数百の人頭を見るの図」
襖の取っ手と月が重なって髑髏に見えるよう描いてある。
月岡芳年 「新撰東錦絵 一休地獄太夫」
一休が地獄太夫に竿にさしたドクロをかざす
月岡芳年 「和漢豪気揃 髑髏」
歌川広重 平清盛福原にて怪異を見る図」
平治の乱で勝利した清盛に武士の怨霊が髑髏となって
襲いかかるところを描写した作品。
小林清親 「地獄太夫」
地獄太夫は室町時代に実在した遊女で、
山賊にかどわかされて苦界に身を沈めたのだが、これも
前世の不信心ゆえであると・懺悔の心を込めて自らを
「地獄」と名乗り、地獄模様の着物を羽織って仏の御名を
唱えながら客を送り迎えたという逸話がある。
この絵の三幅対になっており、楽しく骸骨が
飲んで踊っている中央に地獄太夫が立っている。
河鍋暁斎 「美女の袖を引く骸骨たち」
幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、河鍋暁斎は、
帽子をかぶったイキな骸骨たちが美女に取りついた
様子を描いた。
河鍋暁斎 「一休地獄太夫」
河鍋 暁斎 「髑髏と蜥蜴」
ドクロの目からトカゲ。
これは「狂」の精神を表現している。
小林清親 「清親放痴 東京谷中天王地」
ポンチ絵と呼ばれる風刺画だそうで、骸骨の警察官が
骸骨の母娘を追い払っているところが描かれている。
明治政府が公共の墓地の整備に迫られ谷中天王寺の一部を
没収したことを風刺した作品。
▼あわせて読みたい
浮世絵職人が色づけした刺青をした
飛脚・火消しの写真(江戸後期-明治)
近代の浮世絵、大正から昭和初期に発展した木版画
『新版画』
浮世絵であのゲームキャラクターたちを描いた
「浮世絵ヒーロー」
江戸時代に生きたご先祖さまの煌く想像力が爆発、
浮世絵に描かれた「怪(あやかし)」画像集
コカコーラを使って葛飾北斎の絵を描いてみた
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52164713.html
普通に日本画。
2014年9月19日
【猫】蜘蛛を狙うネコを描いた日本画家・大出東皐
by pp
江戸後期から明治時代に活動した大出東皐(おおいでとうこう)
(1841–1905)さんの「猫と蜘蛛」という作品です。猫の緊張感ある
表情がとてもキュートですね。次の行動が凄く気になります。
メトロポリタン美術館に所蔵されているようです。
Your Daily Art
http://plginrt-project.com/adb/?p=29762
「とうこうさん」て、知り合いかいな。
敬称略でいいのに。
大出東皐 おおいでとうこう
明治期の画家。
1841年(天保こI)上野国(群馬県)桐生に生まれました。
通称愛次郎、桐江と号しのちに東皐と改めました。
別に蝸牛窟の号があります。
画法を藤堂凌雲らから学び花烏を最も得意としました。
明治維新前後に諸国を遊歴し、
以来東京に住み平素は陶画を業としました。
明治の前半期に愛知県瀬戸の川本桝吉方で従事し、
南宋の花烏を写して一時の流行を作りました。
1905年(明治三八)没、六十五歳。
http://turuta.jp/story/archives/1072
2014年10月22日
猫「捕まえたでwwww」鼠「ちょ・・・」
by pp
絵師、河鍋暁斎(1828-1889)さんが描いた浮世絵作品です。
河鍋暁斎さんは「髑髏と蜥蜴」や幽霊画などがとても有名な
天才絵師ですね。猫の表情を想像させる構図が面白いですね。
トムとジェリーっぽいです。
河鍋暁斎―奇想の天才絵師 (別冊太陽)
http://plginrt-project.com/adb/?p=30843
浮世絵・日本画に描かれた骸骨(ドクロ)
用いられてきた。日本では野辺にさらされた人の頭蓋骨の
ことをしゃれこうべ(されこうべ)と言うが、
これは、「晒され頭(こうべ)」が語源となっており、
死の象徴とされている。
江戸時代から明治時代に描かれた浮世絵や日本画にも
ドクロが登場する作品が数多く存在する。
著名な浮世絵師が手掛けた骸骨は趣深いものがある。
歌川国芳 「相馬の古内裏」 1845年頃
相馬の古内裏は、『善知烏安方忠義伝』という物語の中の、
滝夜叉姫が呼び出した骸骨の妖怪が大宅太郎光国に襲い
掛かる場面で、原作では等身大のたくさんの骸骨が現われる
ところを、歌川国芳は1体の巨大な骸骨として描いた。
ヨーロッパの医学書の骨格図に基づいた非常に写実的な
骸骨はそれまでの浮世絵には無い凄みを画面に与え
本作品を国芳の傑作の一つたらしめている。
歌川国芳 「於岩ぼうこん」 1848年
歌川国芳 「国芳もやう正札附現金男野晒悟助」
柄に仕上げている。ゲタもドクロに見える。
歌川国芳 「源頼光公館土蜘作妖怪図」(1843年)
表向きは平安時代の武将源頼光による土蜘蛛退治を描いた
ものだが、本当は土蜘蛛を退治するどころか妖術に苦しめ
られているのは頼光と見せかけて実は、将軍徳川家慶であり、
国家危急の時に惰眠をむさぼっているとの批判が
込められている。
葛飾北斎 『百物語』より「こはだ小平次」
や歌舞伎の怪談物に登場する歌舞伎役者だがモデルとなった
役者が実在したことが知られている。幽霊役専門の役者で、
役者として名をあげた後、殺害され自分を殺した者のもとへ
幽霊となって舞い戻ったという。
月岡芳年『新形三十六怪撰』より「地獄太夫悟道の図」
活動した浮世絵師・月岡芳年による
妖怪画の連作のうちのひとつ。
月岡芳年『新形三十六怪撰』より
「清盛福原に数百の人頭を見るの図」
月岡芳年 「新撰東錦絵 一休地獄太夫」
月岡芳年 「和漢豪気揃 髑髏」
襲いかかるところを描写した作品。
小林清親 「地獄太夫」
山賊にかどわかされて苦界に身を沈めたのだが、これも
前世の不信心ゆえであると・懺悔の心を込めて自らを
「地獄」と名乗り、地獄模様の着物を羽織って仏の御名を
唱えながら客を送り迎えたという逸話がある。
この絵の三幅対になっており、楽しく骸骨が
飲んで踊っている中央に地獄太夫が立っている。
河鍋暁斎 「美女の袖を引く骸骨たち」
帽子をかぶったイキな骸骨たちが美女に取りついた
様子を描いた。
河鍋暁斎 「一休地獄太夫」
これは「狂」の精神を表現している。
小林清親 「清親放痴 東京谷中天王地」
骸骨の母娘を追い払っているところが描かれている。
明治政府が公共の墓地の整備に迫られ谷中天王寺の一部を
没収したことを風刺した作品。
▼あわせて読みたい
浮世絵職人が色づけした刺青をした
飛脚・火消しの写真(江戸後期-明治)
近代の浮世絵、大正から昭和初期に発展した木版画
『新版画』
浮世絵であのゲームキャラクターたちを描いた
「浮世絵ヒーロー」
江戸時代に生きたご先祖さまの煌く想像力が爆発、
浮世絵に描かれた「怪(あやかし)」画像集
コカコーラを使って葛飾北斎の絵を描いてみた
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52164713.html
普通に日本画。
2014年9月19日
【猫】蜘蛛を狙うネコを描いた日本画家・大出東皐
by pp
(1841–1905)さんの「猫と蜘蛛」という作品です。猫の緊張感ある
表情がとてもキュートですね。次の行動が凄く気になります。
メトロポリタン美術館に所蔵されているようです。
Your Daily Art
http://plginrt-project.com/adb/?p=29762
「とうこうさん」て、知り合いかいな。
敬称略でいいのに。
大出東皐 おおいでとうこう
明治期の画家。
1841年(天保こI)上野国(群馬県)桐生に生まれました。
通称愛次郎、桐江と号しのちに東皐と改めました。
別に蝸牛窟の号があります。
画法を藤堂凌雲らから学び花烏を最も得意としました。
明治維新前後に諸国を遊歴し、
以来東京に住み平素は陶画を業としました。
明治の前半期に愛知県瀬戸の川本桝吉方で従事し、
南宋の花烏を写して一時の流行を作りました。
1905年(明治三八)没、六十五歳。
http://turuta.jp/story/archives/1072
2014年10月22日
猫「捕まえたでwwww」鼠「ちょ・・・」
by pp
河鍋暁斎さんは「髑髏と蜥蜴」や幽霊画などがとても有名な
天才絵師ですね。猫の表情を想像させる構図が面白いですね。
トムとジェリーっぽいです。
http://plginrt-project.com/adb/?p=30843
by buttonde
| 2014-06-25 04:30
| 日本画
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