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風流荘風雅屋

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お上品を目指す、のんき節

久々浮世絵

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浮世絵&錦絵で見る戦国武将と合戦図【其の壱】

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浮世絵&錦絵で見る戦国武将と合戦図【其の弐】

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2012年09月15日 人間VS妖怪な画像を貼ってく

1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 13:32:15.41 ID:Eyp5GwqB0
古くは御伽草子から、近きは江戸・明治の草双紙まで
人間と妖怪との戦いは、営々と続いてきた訳ですが、
その中でも、浮世絵や絵入り本に描かれた、その手の
シーンをピックアップして貼っていこうかと思います。

とりあえずは、マイナーな人物からメジャーどころ、
はたまた、ユルい展開から緊迫する場面まで、
色々と紹介して行きたく存じますので、お付き合いの程
どうぞ宜しくお願い致します。

勝川春亭:<坂田公時の妖怪退治>
久々浮世絵_c0072801_7154715.jpg
3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 13:33:52.56 ID:Eyp5GwqB0
歌川国芳:隠岐次郎 廣有
久々浮世絵_c0072801_7161618.jpg
『太平記』によれば1334年(建武元年)の秋、疫病が
流行して病死者が多く出た頃、毎晩のように紫宸殿の上に
怪鳥が現れ「いつまでも、いつまでも」と鳴いて人々を
恐れさせていた。

公卿たちは源頼政の鵺退治にちなんで弓の名手に退治させ
ようと考え、依頼を受けた隠岐次郎左衛門広有は鏑矢で見事、
怪鳥を射止めた。

その怪鳥は顔が人間のようで、曲がったくちばしに鋸のような
歯が並び、体はヘビのようで、両足の爪は剣のように鋭く、
翼長は1丈6尺(約4.8メートル)もあったという。
以津真天 - Wikipedia



6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 13:36:37.52 ID:Eyp5GwqB0
月岡芳年:和漢奇談鑑/塙 團右衛門 直之
久々浮世絵_c0072801_7163961.jpg
塙 團右衛門は戦国後期の武将。大坂の陣での活躍で有名。
図は武者修行の折に宿泊した山中の家で
妖怪退治をしたというもの。
塙直之 - Wikipedia

7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 13:43:50.59 ID:Eyp5GwqB0
歌川国芳:楠 多門丸 正行
久々浮世絵_c0072801_717224.jpg
楠木正行は後醍醐天皇の討幕運動に際して重要な活躍をした
楠木正成の嫡男。後に四条畷の戦いで戦死。

図は、正行が吉野の皇居において毎夜現れる大入道の妖怪を
斬って捨てたところ、その正体が年を経た古狸であったという
エピソードによるもの。
楠木正行 - Wikipedia

8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 13:49:23.16 ID:Eyp5GwqB0
歌川芳艶:楠 多門丸
久々浮世絵_c0072801_7172460.jpg
こちらは国芳の弟子の芳艶(よしつや)の作。
なお、画面で見ると退色してるように見えますが、
実際には、墨以外の色数を少なくして全体的に抑えた色調に
しているので、当初から華やかな色調だったという訳では
ありません。

9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 13:59:42.20 ID:Eyp5GwqB0
月岡芳年:和漢百物語/小野川喜三郎
久々浮世絵_c0072801_7174664.jpg
小野川は筑後・久留米藩のお抱え力士で江戸後期に活躍。
図は、ある夜、有馬候の元で宿直をした際に現れた大入道の
化物をひっとらえてみた所、狸の変化であったという
エピソードによるもの。
小野川喜三郎 - Wikipedia

10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 14:11:00.70 ID:Eyp5GwqB0
月岡芳年:新形三十六怪撰
貞信公夜宮中に怪を懼しむの図
久々浮世絵_c0072801_718766.jpg
貞信公は、菅原道真を陥れた事で知られる藤原忠平の
諡(いみな)。図は「大鏡」に掲載されているエピソードで、
夜半の宮中において現れた鬼に対し、太刀を抜かんとする場面。
藤原忠平 - Wikipedia

27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 15:52:57.11 ID:yh0IT7GA0
>>10
急に画風変わったな

11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 14:18:44.60 ID:Eyp5GwqB0
月岡芳年:美勇水滸伝/高木虎之助 忠勝
久々浮世絵_c0072801_7182879.jpg
虎之助は日向国(現・宮崎県)出身とされる武芸者。
図は、諸国武者修行の折に「山女」(やまおんな)を
退治したというエピソードから。

12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 14:32:54.19 ID:Eyp5GwqB0
歌川国芳:小子部栖軽 豊浦里 捕雷
久々浮世絵_c0072801_7185196.jpg
栖軽(すがる)は、古墳時代の天皇である垂仁天皇の廷臣。
天皇が妃と同衾中のところにうっかり入り込んでしまった
栖軽に対し、怒った天皇が たまたま起こった雷鳴を聞いて
「雷を捕まえてみよ」と命じ、これを謹んで拝命した栖軽は、
豊浦(とゆら)の丘において落ちてきた雷を捕らえたという。
【参考リンク】雷を捕らえた話

13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 14:42:04.35 ID:6uV+29gJ0
こういうの好きだわ

14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 14:46:46.59 ID:Eyp5GwqB0
歌川芳艶:瓢軍談五十四場
/春長公、蘇鉄の怪異を怒りたまふ
久々浮世絵_c0072801_7192054.jpg
織田信長が、堺・妙国寺の庭にあった蘇鉄の巨木を安土城へと
移させたが夜になると蘇鉄の木から「妙国寺へ帰ろう、帰ろう」
という妖しい声が聞こえるようになったため、士卒300人
余りに命じ、これを切り倒そうとしたところ、士卒たちは
血を吐いて倒れ、悶絶する有様であった。

この様子を見た信長は「魏の曹操は梨樹を切って死んだと言う。
ならば、古木の霊はあえて侵すべきではない」と考え、
その日の内に蘇鉄の木を妙国寺へと返したという。
【参考リンク】特集 堺を巡る |堺観光ガイド

15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 14:59:54.83 ID:Eyp5GwqB0
落合芳幾:太平記英勇傳/嶋左近 友之
久々浮世絵_c0072801_7194475.jpg
石田三成の家臣として知られる猛将・島左近が、
関が原の合戦前夜に、入城した美濃・大垣城において
狸の化けた妖怪を退治したとされるエピソードから。
島清興 - Wikipedia

16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 15:03:30.09 ID:Eyp5GwqB0
絵師不詳:嶋左近、古狸を生けどる図(「諸姓名士鑑」より)
久々浮世絵_c0072801_72076.jpg
17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 15:11:27.15 ID:Eyp5GwqB0
歌川芳員:楠正行 奥庭ニ 平九郎 狸退治之図
久々浮世絵_c0072801_7203037.jpg
前述の楠木正行のエピソードよりも更に後の事、
既に元服なった正行の邸宅の庭に現れた狸の妖怪を、
家臣の鷺池平九郎が退治する。(なお、出典は不明)

18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 15:22:58.56 ID:Eyp5GwqB0
月岡芳年:美勇水滸伝/寺扈従 白菊丸
久々浮世絵_c0072801_7205147.jpg
白菊丸は山城・戒光寺の稚児で、小童ながら腕力に優れていた。
ある時、寺の鐘楼に鬼が現れ人を害したので、これに
立ち向かい鬼の角を掴んで地面へ打ち付けたため、
鬼は折れた角だけを残して姿を消したという。
なお、これと同様の逸話が、奈良市の元興寺にも伝わっている。
元興寺 (妖怪) - Wikipedia

19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 15:30:59.88 ID:Eyp5GwqB0
月岡芳年:稚立功名鑑/白菊丸
久々浮世絵_c0072801_7211231.jpg
こちらは同じく芳年が、前出の作品(慶応2年:1866年)
と同じ題材を12年経った明治10年(1877年)に
描いたもの。
芳年は明治7年頃を境に、それまでの伝統的な歌川派の画風
から、西洋画に通じるリアリズムを追求した画風へと
変化している。

22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 15:44:05.54 ID:Eyp5GwqB0
歌川国芳:伊達模様血気競/金神長五郎
久々浮世絵_c0072801_7213993.jpg
長五郎は武蔵国の生まれで、ある時、小鳥を取りに山中へと
入ると廃墟となった寺があったので これを覗いたところ、
何とその中には仁王や金剛神といった、神仏の姿を取った
妖怪たちが蠢いていた。

そこで長五郎は、やにわに着物を脱ぎ捨てて妖怪の中に
飛び込み、金剛神の妖怪へと組み付き、これを投げ飛ばした
ところ、それに恐れをなしたのか、残る妖怪ともども
姿を消してしまった。

このため、長五郎は「金神(こんじん)」という渾名を
付けられたという。

23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 15:46:35.12 ID:Eyp5GwqB0
歌川芳虎:勇烈血気伝/金神長五郎
久々浮世絵_c0072801_722394.jpg
25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 15:48:55.06 ID:Eyp5GwqB0
月岡芳年:美勇水滸伝/金神長五郎
久々浮世絵_c0072801_7223668.jpg
26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 15:52:05.38 ID:hDl55wQEO
残ってるのがすごいよな


28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 16:01:39.10 ID:Eyp5GwqB0
【登喜 大四郎/土岐元貞】
月岡芳年:和漢百物語/登喜 大四郎(慶応元年:1865年)
久々浮世絵_c0072801_7235236.jpg
土岐元貞(大四郎)は蒲生貞秀(氏郷の4代前)の
家臣とされる。
貞秀が甲斐国に出陣した際、陣を張った猪鼻山の魔王堂に
おいて妖怪が出没すると聞いた元貞が堂に赴くと、その中には、
阿弥陀仏や仁王の姿をした化物が居たので、これに組み付き、
投げ飛ばしたところそれらの化物の姿は掻き消えたという。

29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 16:07:05.71 ID:Eyp5GwqB0
月岡芳年:和漢奇談鑑/登喜 代四郎(明治13年:1880年)
久々浮世絵_c0072801_7242110.jpg
なお、発行は明治13年ながら、絵柄自体は明治初期頃の
画風であるため恐らくは、版下画のみで出版に至って
いなかったものを、この時になって改めて出版したものと
思われる。

30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 16:12:37.06 ID:Eyp5GwqB0
月岡芳年:新形三十六怪撰/
蒲生貞秀臣 土岐元貞 甲州猪鼻山 魔王 投倒ノ図
久々浮世絵_c0072801_7245072.jpg
こちらは芳年晩年の明治22年(1889年)の作品。

31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
:2012/09/10(月) 16:17:02.91 ID:Eyp5GwqB0
歌川国芳:碓氷又五郎 飛騨山中 打大猿
久々浮世絵_c0072801_7251996.jpg
碓氷(碓井)又五郎については出典は不明。
石見重太郎の武勇譚と同様のものと思われる。

http://blog.livedoor.jp/worldfusigi/archives/5920622.html
by buttonde | 2012-09-20 08:36 | 日本画 | Trackback | Comments(0)

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