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風流荘風雅屋

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お上品を目指す、のんき節

昔の食いもん

2014年01月03日 昔の食事 ~先史から明治まで~
昔の食いもん_c0072801_934730.jpg
:http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/food/1376308954/
8:もぐもぐ名無しさん:2013/08/16(金) 15:14:25.33
薪や油だってタダじゃねーどころか高いしな
まぁ夏の農家なんかは芋やカボチャが多かったのかも

9:もぐもぐ名無しさん:2013/08/16(金) 18:46:37.24
農家は麦飯がデフォだったんだが、
今みたいな押し麦じゃなくて丸麦だったんで
炊くには前の晩から水に浸けとかなきゃならなかった。
農家で麦がデフォだったのは、米は年貢にとられるが
裏作や空いた土地でつくった麦はまるまる自家消費できたから。
逆に町の職人や商家では、
麦その他のかて飯を炊くのにかかる手間をかんがえると
その分を本業に振り向けたほうが合理的。

10:もぐもぐ名無しさん:2013/08/16(金) 19:19:14.86
農家は麦飯というか麦雑炊みたいなものが
メインだったと聞くけどね
野菜でも何でも一緒に煮れば良いだけだし、
食う時もお椀ひとつで済むからな
季節にもよるんだろうけど

そういえば、農家って食器どうしてたんだろう?
瀬戸物や箱膳なんて細工物は高級品だったろうし
やっぱ削り出しただけの木椀で、
ダメになったら薪用途なのかな?
それとも素焼きだろうか?

箸が当たり前になったのは
日本でも歴史的にはだいぶ最近のはずだから
その辺も気になるわな

11:もぐもぐ名無しさん:2013/08/18(日) 13:26:11.24
雑炊だったら瀬戸物より木の椀のほうが
持つのに熱くなくて便利だったと思う。

23:もぐもぐ名無しさん:2013/08/25(日) 18:27:18.89
そばが何とか食えるものになったのは江戸時代から。
平安時代に藤原道長の甥が山の民からそばを供されたんだが
あまりの不味さに、これは人間が食う物ではない、
という趣旨の歌を読んでいます。

24:もぐもぐ名無しさん:2013/08/25(日) 18:55:02.32
そばが蕎麦が、というけど大抵みんな江戸期以降の
蕎麦切りで思い込んで勝手に思考停止してるよね。
あの形態になるまでは雑穀粥とか蕎麦掻で食ってて、
蕎麦切りなんて全然ハナタレの
ジャンクフード・ファストフードなのにね。

ある程度製粉して、
おやきみたいな無発酵パンにしたり蕎麦掻作ったりというのが
まぁ上等なところだろうな。

27:もぐもぐ名無しさん:2013/08/25(日) 21:26:17.38
そういえば五穀には蕎麦が入っていないんだよね。

29:もぐもぐ名無しさん:2013/08/25(日) 21:56:18.59
創業540年の日本最古の京都の蕎麦屋 尾張屋のHPでは
そば粉を溶いてから薄く焼いた煎餅にして
食っていたようですね。

38:もぐもぐ名無しさん:2013/08/27(火) 16:23:40.94
この料理を出したら、大殿様に殴られたでござる。

1の膳
①金高立入 蛸(湯引たこ) ②鯛の焼き物 ③菜汁
④膾(なます) ⑤高立入 香の物(大根の味噌漬)
⑥鮒の寿司  ⑦御飯

2の膳
①絵を書いた金の桶入 うるか(鮎の内臓の塩辛)
②高立入 宇治丸(鰻の丸蒲焼き)
③ほや冷や汁
④太煮(干ナマコに由芋を入れて味噌煮にしたもの)
⑤絵を描いた金色の輪に乗せた貝鮑
⑥高立入 はも(照焼き) ⑦鯉の汁

3の膳
①焼き鳥(鶉・うずらの姿焼き、当時は雲雀・ひばり)
②山の芋鶴汁(鶴とろ汁味噌仕立て)
③がざみ(ワタリガニの一種)
④辛螺・にし(にしがいの壷煎、巻貝の一種)
⑤鱸・すずき汁

4の膳
①高立入 巻するめ  ②鮒汁  ③高立入 椎茸
④色絵皿入 鴫・しぎ壷(鴫の壷焼き、なすの田楽)

5の膳
①まな鰹さしみ  ②生姜酢
③鴨・かも汁(鴨の味噌汁)
④けずり昆布  ⑤土器入りのごぼう

足付の縁高御菓子
①から花(造花)  ②みの柿(干し柿)  ③豆飴
④くるみ  ⑤花昆布  ⑥求肥餅(羽二重餅)

42:もぐもぐ名無しさん:2013/08/28(水) 01:10:05.55
お椀を0.2リットルとして、汁物だけで1リットルかよ。
食えねえよ。

43:もぐもぐ名無しさん:2013/08/28(水) 06:08:49.18
昔の、特に江戸時代辺りの民間記録は、
あんまあてにならないんだよなぁ
日本人はランキング好きで見栄っ張りなんだろうな
あり得ない量の飯食ったとか酒何升飲んだとか、
めちゃくちゃな記録ばっかりだw

少なくとも量に関しては真に受けないほうがいいねw

45:もぐもぐ名無しさん:2013/08/28(水) 19:30:16.33
>>43
飯は知らんが酒はかなり薄かったらしい。
もちろん盛ってるとは思うが量については
あながち嘘ばかりともいえない
自分もビールを16リットル飲んだことがあるし、
いつの世も大酒飲みなんてそんなもの

49:もぐもぐ名無しさん:2013/08/28(水) 21:13:56.02
>>45
70過ぎの爺様が16Lどころか
20升前後飲んだの何だのデタラメばっかだよ
水だってそんな飲めない。

どうせ祭りの大会で盃煽って
こぼしまくってたとかに決まってるw
「ヨイヨイヨイ!どしたどしたぁ!はいシャンシャンシャン!」
そんなもんw

52:もぐもぐ名無しさん:2013/08/29(木) 00:22:19.10
嘉永6年(1853)の信濃立沢村(現・富士見町)の百姓、
弥左衛門家で行われた結婚式のメニュー

・前菜
お茶
吸い物(花鰹・そうめん・芹)、数の子、蕗
冷酒
肴として、田作、イカ、昆布、
膳を変えて
吸い物、葱の酢味噌和え、玉子焼き、イナゴ、刺身
錦糸玉子、タコ、芹、しいたけの盛りつけ

・本膳
皿料理(千切り大根、刺身、岩茸、鳥、なます)、
肴(栗、スルメ、人参など)
汁(田作、大根)、
猪口[小さくて深い椀](こんにゃく等)、飯

・二の膳
平[浅くて平たい椀](椎茸、ゴボウ、鱒、スルメ、
青板[昆布を干したもの]、ちくわ)、飯
組合(エビ、切り身、イナゴ)、清酒、汁、奈良漬

・三の膳
タコ、ぜんまい、エビ、刺身、蓮根、
九年母の果実(みかんの一種)、玉子、羊羹、
はも、しらす、吸い物

158:もぐもぐ名無しさん:2013/09/07(土) 11:14:39.57
>>52
長野には「酔ったような魚で無ければ食った気がしない」
という言葉が有るから、刺身はちょっと腐ってたと思われる
これ、富士見町でも刺身が食えたって処が話のミソで
本州の、海から一番遠い地域でも海の刺身が食えたって事
飛脚、早馬って凄いね

53:もぐもぐ名無しさん:2013/08/29(木) 05:03:26.70
突然そうめんか
とりあえずハラ落ち着かせとけみたいな構成だなw

54:もぐもぐ名無しさん:2013/08/29(木) 05:40:56.49
>>53
現在でもそうだが、素麺を作れるような
細い製麺技術がある地域は播磨の揖保、大和の三輪、
小豆島など瀬戸内海と関西地域のみ
当時の東国の人間にとっては
初めて食べるご馳走だったんでしょうね。



56:もぐもぐ名無しさん:2013/08/29(木) 10:59:29.45
婚礼とは言え内陸部の農民でも海の幸が楽しめたようですね。
卵も当時は高級品だったはずですね。

59:もぐもぐ名無しさん:2013/08/29(木) 19:36:20.96
刺身は川魚(鯉のあらいや鮎など)、海老は干し海老、
タコは酢ダコかもしれないが
はもとしらすがあるもんなあ。
しらすは塩きつめの釜あげにしても、
常温ではそんなに保つもんじゃないからな。

71:もぐもぐ名無しさん:2013/08/30(金) 21:53:00.46
>>59
内陸では今でも臭いハモをかば焼きや筒煮で食う

60:もぐもぐ名無しさん:2013/08/29(木) 19:54:23.04
しらす干しなら長持ちしそうだけどな。

61:もぐもぐ名無しさん:2013/08/29(木) 20:54:51.20
>>60
あー、柔らかい釜あげしらすじゃなくて、
乾燥したちりめんなら保存きくね。
しかし、イナゴがあるのがさすが信州だと思ったw
現在でも長野県内のスーパーでは、
珍味やお土産としてではなく、
惣菜コーナーにキンピラや煮物と同列に
イナゴの佃煮が置かれてるの珍しくない。

64:もぐもぐ名無しさん:2013/08/29(木) 22:27:09.75
今で言う冷や麦(切り麦)より太い素麺もあって、
全国に生産地が存在してたような

65:もぐもぐ名無しさん:2013/08/29(木) 23:48:57.08
西日本で細い素麺を作る秘訣は
生地に練りこむ油だったそうです。
今、ゆで上がった素麺をしつこく水洗いするのは
油臭さを取るためらしい。

66:もぐもぐ名無しさん:2013/08/30(金) 02:05:26.21
しかし、素麺を水に浸して出せるのは
その油のおかげだったりもする。

67:もぐもぐ名無しさん:2013/08/30(金) 02:48:14.22
>>66
小豆島素麺のみごま油を塗って伸ばすから
香りが違うんだよね。

72:もぐもぐ名無しさん:2013/08/30(金) 22:05:56.95
都市部は明治の幕開けと共に文明開化とやらで
だいぶ食生活がバラエティー富むようになったが
農村部は江戸初期も昭和初期も大してかわらない
食生活のままだった。
米と麦と味噌汁、野菜の煮物と漬物、ハレの日だけ塩魚。

73:もぐもぐ名無しさん:2013/08/30(金) 23:04:51.27
実際のところ味噌汁はどれくらいの人間が
日常的に飲めたのだろう
大豆がそれほど採れたとも思えないし、
味噌は腐りやすい

74:もぐもぐ名無しさん:2013/08/30(金) 23:08:27.03
昔の味噌は塩分濃度高いから長持ちするよ。
干したのもあるしな。

77:もぐもぐ名無しさん:2013/08/30(金) 23:50:18.43
田の畔で大豆がとれる農家なら、味噌は各家庭で作っていた。
傷む前に使いきれる分だけ順繰りに作る。
大豆があまり採れない家では味噌は貴重品。
味噌雑炊は貧しい食べ物の代名詞扱いされたりするが、
それすら贅沢だから塩味の麦粥ばかり食べてたりしたんだな。
醤油はさらに貴重で、醤油で味をつけた
炊き込み飯はやはらハレの食べ物。

97:もぐもぐ名無しさん:2013/08/31(土) 20:54:47.41
下級貴族
「死ぬ前に一度でもいいから、腹一杯芋粥を食べたい。」
の芋は山芋?里いも??
また貧しいから腹一杯の芋粥を食えないのではなく、
陰陽寮の作った暦のせいで
貴族は好きなものを食えなかったんだよね。

98:もぐもぐ名無しさん:2013/08/31(土) 21:58:06.21
山芋のスイーツらしい

101:もぐもぐ名無しさん:2013/09/01(日) 07:24:00.99
芋粥、wikiでは
芋粥(山芋を甘葛の汁で煮た粥)
となってますね

104:もぐもぐ名無しさん:2013/09/01(日) 22:34:24.60
wikiに書いてないことは調べる気も無いのだろうけど
江戸の始めには福島の三春そうめん、
埼玉でも久我や岩槻、千葉の久留里とか
東日本にもそうめんの巨大産地がいくつもあったのにな

110:もぐもぐ名無しさん:2013/09/02(月) 11:47:25.01
>>104 関東にもそうめんの名産地はありましたね。
戦後は観光客向け商売になってしまい、地元民を取り込めず、
生産量も増えずにバブル時代以降に衰退していきました。

107:もぐもぐ名無しさん:2013/09/02(月) 05:00:05.89
山芋は、現在はとろろとか千切りの酢の物とか
生で食べることが主流になってるが
加熱したほうがうまい。
自分は味噌汁の具にするの好きだ。火のとおりも早いよ。

ま、生食もできる澱粉質は貴重だし、
古来から便利な食物だったとは言えるだろう。

108:もぐもぐ名無しさん:2013/09/02(月) 07:01:41.86
>>107
長芋と一緒にするなよ。自然薯食ったことないんだろ

109:もぐもぐ名無しさん:2013/09/02(月) 07:13:28.30
長芋と自然薯は別な食い物だよね
どちらが上とかでなく使い所からして違う

111:もぐもぐ名無しさん:2013/09/02(月) 17:13:29.07
俺は、長芋や山芋は海苔で巻いて、
さらに青海苔を混ぜた天ぷら粉で天婦羅にして食います。
また天つゆは使わず抹茶塩で食います。
この食い方は俺が初めてだろう、と思っていたら、
江戸の八百膳がすでにやっていました。

112:もぐもぐ名無しさん:2013/09/02(月) 20:12:51.20
磯辺揚げですか。
大和芋やツクネイモは揚げられるけど長芋は無理なのでは
すり下ろさずに揚げるなら可能だけど、それはそれで珍しい
自然薯の食べ方で面白いなと思ったのは、
出汁汁に摺った自然薯を小さく丸めて浮かべた料理
生のまま浮かべると粘っこくて食べにくいけど、
素揚げだと大根餅みたいな食感です

113:もぐもぐ名無しさん:2013/09/02(月) 21:59:38.51
>>112
拍子木のように切ったものを海苔で束ねたものです。
すりおろしては無いです。
フライドポテトの様なサクサクした歯ごたえになります。

156:もぐもぐ名無しさん:2013/09/07(土) 10:45:05.74
平安貴族は干しアワビや、
クサヤ等の乾物ばかり食べていたので栄養が片寄り、
下膨れの「おかめ」みたいな顔になったらしい
庶民は貧しかったが、いろんな物を食べたので
貴族よりは健康だったとか

157:もぐもぐ名無しさん:2013/09/07(土) 10:59:52.12
>>156
あの頃はもう貴族や富裕層に
脚気が出始めてたっていうからな
どんだけ白いコメ好きなんだよと思う

バカじゃなかろうかw

でも日本人は遺伝子的に、ほとんど下戸ばっかとも言うし
飲めない金持ちなんてそんなもんなのかもな。

160:もぐもぐ名無しさん:2013/09/07(土) 14:17:49.36
藤原道長の死の数年前は、やたらと水を欲したそうです。
典型的な糖尿病の末期症状です。

194:もぐもぐ名無しさん:2013/09/08(日) 01:41:02.59
ウサギ追いしかの山♪
小鮒釣りしかの川♪

田舎の百姓でも肉魚を食っていたんだね。

195:もぐもぐ名無しさん:2013/09/08(日) 01:59:08.89
むしろ田舎の百姓だから食えたんじゃないの?

196:もぐもぐ名無しさん:2013/09/08(日) 02:04:20.45
うさぎは鳥として扱われてましたそうで

200:もぐもぐ名無しさん:2013/09/08(日) 02:53:40.71
あとはイノシシを山クジラとかですかね

201:もぐもぐ名無しさん:2013/09/08(日) 03:13:21.32
牡丹とか桜とか紅葉の肉って売ってないよな。

202:もぐもぐ名無しさん:2013/09/08(日) 03:31:24.76
>>201
売ってる所には売ってるけどね
ま、あんま大量に安定供給しても儲けられるネタでも無いしな

そもそも牡丹の家畜化したもんが豚だから
その辺で納得しとけ

210:もぐもぐ名無しさん:2013/09/08(日) 17:57:43.88
うちの母方の実家は岐阜県の飛騨地方なんだが、
50年くらい前までは刺身と言ったら
筆頭に浮かぶのは鹿肉だったそうな。
魚は天然のアユやイワナ・アマゴをよく食べ、
コイも飼ってた。
アユやイワナのせごしも食べたし、
コイの刺身はご馳走だったとの事。
海の魚はお正月前に富山から来る塩ブリがほぼ唯一の物、
雪に埋めとくと天然の冷凍状態で日持ちしたそう。
するめや干し貝の類は年中あった由。

212:もぐもぐ名無しさん:2013/09/08(日) 18:03:17.84
>>210
鹿の刺身食べて寄生虫でよく人が死ぬよね
冬なら大丈夫なのか?

219:もぐもぐ名無しさん:2013/09/08(日) 18:59:24.46
>>212
寄生虫というより肝炎じゃね?

228:もぐもぐ名無しさん:2013/09/08(日) 21:15:29.22
>>219
寄生虫が原因で肝炎になることもあるって。
潜伏期間は寄生虫の種類により違いますが、
多くは感染後数週間です。
人に健康被害を及ぼす寄生虫として、
牛や鹿では「無鉤条虫(むこうじょうちゅう)」や
「肝蛭(かんてつ)」、
熊では「旋毛虫」などが知られています。
主な症状として、「無鉤条虫」では消化器障害、
「肝蛭」では肝腫瘍や発熱、「旋毛虫」では下痢、
発熱や筋肉痛、ひどくなると呼吸困難や
心臓障害を起こすことがあります。

247:もぐもぐ名無しさん:2013/09/08(日) 23:29:30.43
古事記にはハマグリの膾が書かれてますね。
文字で記録された最古の料理です。

253:もぐもぐ名無しさん:2013/09/09(月) 21:08:52.36
徒然草に北条時頼が部下達と味噌を舐めながら
酒を飲むシーンがあって、初めて読んだ時には
質実剛健で質素な為政者なんだなと思ったけど、
後に御馳走を部下に振舞う太っ腹な人って
エピソードだと知って驚いた。

254:もぐもぐ名無しさん:2013/09/09(月) 21:22:21.82
江戸おかず番付なんだが、現代まで残っているのって、
めざしときんぴらくらいだね。
<魚類方>
大関   めざしいわし
関脇   むきみ切り干し
    (はまぐりなどのむき身を切り干し大根と煮た)
小結   芝エビからいり

<精進方>
大関   八杯豆腐(豆腐を水6杯、酒一杯、醤油一杯
「これで八杯と言うことかな。」でさっと暖めて、
大根下ろしをかける。)
関脇   昆布あぶらげ(昆布と油揚げの煮物)
小結   きんぴらごぼう

256:もぐもぐ名無しさん:2013/09/09(月) 21:36:39.78
>>254
八杯豆腐以外は今でも普通に食べるよ

260:もぐもぐ名無しさん:2013/09/10(火) 21:43:42.63
>>254の番付下位
鮪から汁(鮪だけの味噌汁) 前頭一 にまめ
こはだだいこん    前頭二 焼豆腐吸したじ(すまし汁)
たたみいわし     前頭三 ひじき白あえ
いわししおやき    前頭四 切り干し煮付け
まぐろすきみ      前頭五 芋がら油げ(煮付け)
しおかつお(鰹の塩漬け) 前頭六 油げつけ焼(醤油付け焼き)
にしんしおびき(鰊の塩漬け)前頭七 小松菜ひたしもの
やっぱ、八杯豆腐の消えっぷりが際立つな

266:もぐもぐ名無しさん:2013/09/11(水) 11:07:47.39
先日とある店でつきだしに「八杯豆腐です」と出されたのは
大きめの短冊に切った豆腐の薄葛あんかけだったな。
大根おろしではなくおろし生姜がのっていた。

276:もぐもぐ名無しさん:2013/09/11(水) 22:19:21.97
他の番付との違いはよくわからんが、
八杯豆腐の水6、酒1、醤油1って
かなり薄い味付けだなあ。

314:もぐもぐ名無しさん:2013/09/22(日) 07:28:06.10
>>276
味の濃さとしては魚を煮る酒八方と大体同じだけどな
(味醂1醤油1酒4水4)

278:もぐもぐ名無しさん:2013/09/15(日) 22:26:27.26
白菜、たまねぎ、
にんじん(細長いのではなく太くて短い方)、トマト
この中で一番古くから栽培されていたのはトマト。
トマトの和食ってどうしてできなかったのかな?
またトマトは雨が少なく土地がやせていればいるほど甘くなる。
干ばつの救荒食にもってこいだよな。

281:もぐもぐ名無しさん:2013/09/15(日) 22:53:04.44
>>278
白菜ってそんなに新しいの?
昔からあるかと思ってた

菜っ葉の煮付け、とかいうときの「菜っ葉」て何?
白菜のことじゃないの?

282:もぐもぐ名無しさん:2013/09/15(日) 23:08:51.60
>>281
白菜なんて、このスレじゃ最新オサレ野菜ですよ
菜っ葉っつったら大根葉か野沢菜ですよ

279:もぐもぐ名無しさん:2013/09/15(日) 22:30:53.30
桃太郎より前のトマトは青臭くて嫌われていた
農家が八百屋に売りに行ったら
「臭いから持ち帰れ、営業妨害だ」って追い返されたらしい
もったいないよね

280:もぐもぐ名無しさん:2013/09/15(日) 22:31:02.02
トマトの実は水が少ないほど甘くなるけど、
トマト自体は水が切れるとわりとすぐ枯れるよ。

283:もぐもぐ名無しさん:2013/09/15(日) 23:21:22.08
日清戦争の時に出征した兵隊さんが
種を持ち帰って農大の教授が丸くなるように
品種改良したんだよね。

284:もぐもぐ名無しさん:2013/09/16(月) 09:06:20.98
どうやって改良したんだろう

285:もぐもぐ名無しさん:2013/09/16(月) 09:26:11.32
別種との交配や、それに拠る突然変異(つまり奇形)の中で
人間に都合の良い雑種だけをより分けていく事になるね。
その種だけを選り分け延々植え続ける作業。
安定したら「改良」
当たり前だけど。

286:もぐもぐ名無しさん:2013/09/16(月) 12:13:47.33
大根葉か野沢菜なのか・・・ありがと

290:もぐもぐ名無しさん:2013/09/16(月) 20:55:51.14
>>286
アブラナ科ばかりでなくアカザ科の野菜もあった

288:もぐもぐ名無しさん:2013/09/16(月) 18:38:56.77
大正時代の奈良女子高等師範学校(今の奈良女子大)の寄宿舎
では理科(学科が文科、理科、家政科にわかれていた)の
女子学生たちが新しい野菜としてトマトを自主的に育て
寄宿生たちの食卓にも載せていたという記述が
当時奈良女高師でまなんでいた人の著書にある。
しかし理科以外の女子学生にとっては、
なんとなく気味悪くて口に入れにくいという感想だったようだ。

298:もぐもぐ名無しさん:2013/09/21(土) 08:14:54.95
---細井和喜蔵「女工哀史」より、女工の一週間の献立---
曜日  朝         昼         夕
月 大根汁、たくあん  油みそ、たくあん ヒジキ、たくあん
火 かぶ菜汁、たくあん 金時豆、たくあん 豆腐豚汁、たくあん
水 梅干、生姜     数の子、たくあん 大根、たくあん
木 大根汁、たくあん  大根、たくあん  塩鮭、たくあん
金 菜っぱ汁、たくあん 里いも、たくあん 福神漬け
土 梅干、たくあん   豆腐汁、たくあん 大根、たくあん
日 豆腐汁、たくあん  干物、生姜    千切、たくあん

平日の昼間から数の子かよ

319:もぐもぐ名無しさん:2013/09/22(日) 19:52:41.78
>>298
自分も女工哀史よんだが、主食は白米なんだよな。
米があまりとれない地域とか、
小作農で米を年貢に出さねばならず
麦その他をまぜた飯しか食べられなかった地域の
娘さんたちには白米だけの飯が三度三度食べられると
いうだけで大変な魅力だったわけだ。
ああ野麦峠でもそのへんは描かれている。
飛騨の山村で仲間たちがみな女工に出るなか家の事情で
女工に行かせてもらえなかった女性の話では
白米は正月だけで普段は稗の粉末をソバがきのように
練ったものが主食だった。
労働も朝早くからの山仕事。
女工のほうがずっとましな生活だったようだ。

299:もぐもぐ名無しさん:2013/09/21(土) 08:21:14.44
うちの婆さんが言っていたが
昔は数の子をおやつ代わりに出されるほど
豊富だったそうだよ。
しかし質素で涙が出てしまいますね。

300:もぐもぐ名無しさん:2013/09/21(土) 08:25:15.65
>>299
動物性たんぱく質は作業中に
目の前の蚕をつまんでぽりぽり食っていたそうです。

301:もぐもぐ名無しさん:2013/09/21(土) 08:33:06.58
>>300
現代では鶏卵は格安で購入できるけど昔は高値だったそうで
動物性のたんぱく質を摂るため
いろいろな物を食べてたんでしょうね

305:もぐもぐ名無しさん:2013/09/21(土) 09:58:23.64
>>300
そういえば絹をとったあとの蚕って、
繭と一緒にゆでてあるんだっけ?
あれ捨てるんだろうか
食べればいいのに

306:もぐもぐ名無しさん:2013/09/21(土) 10:00:28.49
>>305
ピーナッツのような味らしいよ。

308:もぐもぐ名無しさん:2013/09/21(土) 10:17:18.96
>>305
日本では鯉釣りとかの集魚剤に使われていますよ

304:もぐもぐ名無しさん:2013/09/21(土) 09:14:33.21
次はミリメシ
これを三日分背嚢に入れて行軍し、
無くなると後から追いかけた自動車部隊から
補給を受ける予定でした。
日本陸軍の特殊定量(携行糧食)
一人一日あたりの定量は以下の通り
(出典は昭和16年7月陸軍省印刷『陣中経理要覧』から)

【主食】
精米580g 乾パン又は圧搾口糧210g
【副食】
・肉類 缶詰肉150g又は乾燥肉60g
・野菜類 乾物120g
・漬物類 梅干45g又は福神漬け45g
・調味品 粉醤油30g又は醤油エキス40g
粉味噌30g 食塩5g 砂糖20g
【飲料】茶3g
【栄養食】栄養食45g
【加給品】清酒0.4ℓ又は甘味品120g
巻煙草20本

4000キロカロリーだったそうです。

311:もぐもぐ名無しさん:2013/09/21(土) 22:59:44.48
>>304
で、これ前線に届いたの??

312:もぐもぐ名無しさん:2013/09/22(日) 02:15:55.78
>>311
届けている途中でガトー級潜水艦に沈められました。
ちなみにポリネシア人の間では漂着した
日米両軍の物資が神様からの
ごちそうとして喜ばれたそうです。

370:もぐもぐ名無しさん:2013/09/27(金) 17:41:23.66
雨ニモマケズ
風ニモマケズ

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
の詩を書いた人の好物は、
三ツ矢サイダーと天そばとカツ丼と鰻と鶏南蛮でした。

385:もぐもぐ名無しさん:2013/10/20(日) 02:19:32.80
>>370
ぎゃふんw

652:もぐもぐ名無しさん:2013/11/19(火) 19:15:13.88
大多数の人が食べてた料理だと、
雑炊とかになりそうな気がする。
あれはいいぞ。なんでも入れられるし、
鍋もお椀も一つでいいし、食べるの速いからな。

655:もぐもぐ名無しさん:2013/11/19(火) 19:37:35.52
>>652
うちの母方の祖母が子供の頃住んでいた家
(江戸時代に建てられた貧しい小作農の家)には、
そもそも土間にかまどなんてなかったそうだからな。
煮炊きは全部照明を兼ねた囲炉裏に吊った鍋でやってたそうな。
固いご飯なんて食べた事なかったと……。

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4601141.html
by buttonde | 2014-01-04 11:30 | | Trackback | Comments(0)

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