異能地図 6
2017/04/28
ご隠居さんのエネルギッシュさに脱帽!
実は伊能忠敬のあの偉業も隠居後なんです
阿部裕子
隠居というと、ひっそりと地味な暮らしのイメージが
ありませんか?江戸時代の隠居は、今の定年退職とは
まったく異なり、自分の意志で第一線から身を引きました。
さぁこれからあれをやろう!といった具合に、前から
取り組みたかったことを始めるのです。隠居後に
若々しさが増していく人も、少なくなかったはず。
伊能忠敬の隠居後
伊能忠敬も、バイタリティ溢れる隠居者の一人でした。
伊能忠敬と言えば日本で最初に実測地図を作ったことで
有名ですが、それは隠居後のことだったのです。
リタイア後とは思えぬほどの、
すごいエネルギーですよね!
50歳のとき隠居し始めた忠敬は、翌年には下総佐原から
江戸深川へ引越し、念願だった観測をスタートします。
息子に問屋などを譲ったとき隠居分として受け取った
資産の一部で、観測の機械を買ったそう。
千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵
初の測量旅行へ
寛政12年(1800年)、忠敬56歳のときには蝦夷地の東端
まで測量し、精密な地図を作成しました。幕府は、
ここまで完成度が高いものができると思わなかったようで、
この測量旅行にはお金を出していませんでした。なんと、
忠敬の自己負担による測量で、幕府としては経費を自分で
払うなら測量してもよい、ということだったそう。
わずかな日当は支給されたとはいえ、従者5人の宿泊代や
測量機械を運搬する馬や人にかかるお金も忠敬の負担
だったとか。隠居分のお金をかなりつぎ込んだと思われます。
千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵
千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵
1802年の第三次の羽越測量からは、ようやく幕府の経費で
行われるようになりました。60歳で幕府の役人となり、
日本全国を歩いて測量しては江戸に戻って地図作成…
の繰り返し。体力気力ともに、並大抵のものじゃありません。
50歳で隠居、60歳で役人というとサクセスストーリーの
ようですが、シニア世代の忠敬が偉業を成し得たのは
実測地図作成への情熱があったからこそ。彼のパワーの
根底には、自分のお金をつぎ込んでも成し遂げたい!
という熱い気持ちがありました。
ちなみに、長屋の住人たちにとっては隠居はとても無理で、
年齢関係なく働き続けないと生活できませんでした。
隠居できたのは、家名(かめい)・家職(かしょく)・
家督のある武士、資産のある町人、上層の農民などに
限られていたそう。
せっかく隠居できるならば、その時間とエネルギーを
有効活用し、伊能忠敬のようないきいきとした日々を
過ごせたら素敵ですね。
http://mag.japaaan.com/archives/54338
ご隠居さんのエネルギッシュさに脱帽!
実は伊能忠敬のあの偉業も隠居後なんです
阿部裕子
隠居というと、ひっそりと地味な暮らしのイメージが
ありませんか?江戸時代の隠居は、今の定年退職とは
まったく異なり、自分の意志で第一線から身を引きました。
さぁこれからあれをやろう!といった具合に、前から
取り組みたかったことを始めるのです。隠居後に
若々しさが増していく人も、少なくなかったはず。
伊能忠敬の隠居後
伊能忠敬も、バイタリティ溢れる隠居者の一人でした。
伊能忠敬と言えば日本で最初に実測地図を作ったことで
有名ですが、それは隠居後のことだったのです。
リタイア後とは思えぬほどの、
すごいエネルギーですよね!
50歳のとき隠居し始めた忠敬は、翌年には下総佐原から
江戸深川へ引越し、念願だった観測をスタートします。
息子に問屋などを譲ったとき隠居分として受け取った
資産の一部で、観測の機械を買ったそう。
初の測量旅行へ
寛政12年(1800年)、忠敬56歳のときには蝦夷地の東端
まで測量し、精密な地図を作成しました。幕府は、
ここまで完成度が高いものができると思わなかったようで、
この測量旅行にはお金を出していませんでした。なんと、
忠敬の自己負担による測量で、幕府としては経費を自分で
払うなら測量してもよい、ということだったそう。
わずかな日当は支給されたとはいえ、従者5人の宿泊代や
測量機械を運搬する馬や人にかかるお金も忠敬の負担
だったとか。隠居分のお金をかなりつぎ込んだと思われます。
1802年の第三次の羽越測量からは、ようやく幕府の経費で
行われるようになりました。60歳で幕府の役人となり、
日本全国を歩いて測量しては江戸に戻って地図作成…
の繰り返し。体力気力ともに、並大抵のものじゃありません。
50歳で隠居、60歳で役人というとサクセスストーリーの
ようですが、シニア世代の忠敬が偉業を成し得たのは
実測地図作成への情熱があったからこそ。彼のパワーの
根底には、自分のお金をつぎ込んでも成し遂げたい!
という熱い気持ちがありました。
ちなみに、長屋の住人たちにとっては隠居はとても無理で、
年齢関係なく働き続けないと生活できませんでした。
隠居できたのは、家名(かめい)・家職(かしょく)・
家督のある武士、資産のある町人、上層の農民などに
限られていたそう。
せっかく隠居できるならば、その時間とエネルギーを
有効活用し、伊能忠敬のようないきいきとした日々を
過ごせたら素敵ですね。
http://mag.japaaan.com/archives/54338
by buttonde
| 2017-04-29 06:00
| 他
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